ころり三観音と三十三観音巡り Korori San-Kannon and 33 Kannon Meguri
一生を健康に過ごしコロリと往生 ころり三観音
会津美里町根岸の弘安寺(中田観音)、耶麻郡西会津町野沢の如法寺(鳥追観音)、そして当山の立木観音、この三観音を合わせて「ころり三観音」と呼ばれ、古くから信仰を集めております。
ころり信仰とは
ころり信仰とは、ご高齢の方が寿命と健康寿命の差の無さ(不健康な期間の短さ)を理想として安楽往生の願いを込めた信仰です。つまり、亡くなる直前まで病気に苦しむことなく、できるかぎり健康で長生きし、最期は長患いせずにコロリと往生するという、健康的な生き方(死に方)を意味する言葉。会津だけでなく日本各地で同様の言い伝えが存在します。
また近年では誠心誠意心願し努力すれば、老若男女や貧富を問わず平等のご利益を授かるという信仰ともされています。
中田観音(弘安寺)
弘安二年(1279年)に建立されたため「弘安寺」と称され、中田の観音様と親しまれる会津ころり三観音のひとつです。本尊は十一面観音菩薩立像です。野口英世の母シカが息子・英世の火傷治療と立身出世祈願のために月参りしたことでも知られます。
鳥追観音(如法寺)
大同二年(807年)、仏都会津の祖・徳一大師が「会津西方浄土」としてご開創された会津屈指の観音霊場で、本尊は聖観音菩薩坐像です。東の仁王門から観音堂へ入り、祈願して西から出れば、鳥追観音のお導きで西方浄土へ安楽往生が叶うことから「会津ころり観音」といわれています。
仏都会津。歴史に彩られた巡礼の旅 会津三十三観音巡り
観音様(観世音菩薩)は修行のために娑婆(現世)に下りてきて、三十三身(無限にの意)に変化して私たち衆生(凡人)の救いを求める声を観て、瞬間に強力なパワー(念彼観音力)でもって、救いに駆けつけてくれるという菩薩様です。
会津の三十三観音札所めぐりは江戸時代に始まり、時代と共に盛んになり、庶民の間に深く信仰されるようになりました。その後もささやかな娯楽性や観光的な要素も加わり、各地区ごとに「観音講」などがかたちづくられ、今日に至っています。