立木観音の仏像とその歴史 The Buddha statues and their history.

国指定重要文化財 立木観音堂

画像:立木観音堂

木割雄大で剛健 ― 和様の古建築

雄大な和様建築で剛健なおもむきがあり、鎌倉時代の建築の特色をそなえている貴重な建造物と評価されております。正面中央に一間に向拝を附加して、低い雨石葛石をまわしただけの地盤上にに建てられ、四周には廻縁をめぐらし、主屋は全て円柱、縁長押、腰抜・内法長押、頭貫をわたしてあります。

柱頭に三斗を組み、斗拱間には揆束を飾り、軒は二重の繁すい、軒先を隅に軽くそらせて、屋根棟には地方特有の茅葺棟飾りを作っており、すべて和様の構架手法と細部形式を型どうりに踏んでいるまれに見る古建築で、純粋な和様建築で更に屋内はまったく装飾のない簡素な建物として建築学上からも一大特色を現しております

旧国宝指定
明治37年2月18日
重要文化財指定
昭和25年8月29日
指定内容
特別保護建造物
建築様式
桁行五間 梁間四間 単層 屋根寄棟造 茅葺

境内マップ

画像:境内マップ

動画で観る立木観音

国指定重要文化財 十一面千手観音立像

画像:立木観音堂

日本最大級の高さを誇る一木造の観音像

大同三年(808年)に弘法大師が夢のお告げを受け、ケヤキの大樹に一刀三礼の精魂を込めて彫りあげた十一面千手観音像。子(ね)年生まれの方の守護本尊です。その高さは二丈八尺(約8.5メートル)にもなり、人々からは「立木観音」として親しまれております。立木観音は名前の通り立木の状態から彫ったもので、現在も床下まで根が続いた雄大なお姿、慈悲あふれるお顔は参拝に訪れる人々を魅了してやみません。

お参りすれば願い事を簡単に“ころり”と叶えてくださる。また、ご高齢の方ができるかぎり健康で長生きをし、お亡くなりになる前は長患いもせず、苦しまず、家族に迷惑をかけずに“ころり”と旅立つことができる。このようなご利益があると伝えられていることから、「会津ころり三観音」のひとつとしても信仰を集めております。

重要文化財指定
大正4年3月26日
指定内容
彫刻

二十八部衆

画像:二十八部衆

千手観音菩薩の眷属

本尊の左右に安置される眷属の二十八部衆は、身の丈2メートル弱の大きさですべて揃っており、密教様式を忠実に表現している全国的にも大変貴重な仏像です。

抱きつき柱

画像:抱きつき柱

抱きついて願えば満願成就する

当寺院には古くから観音堂内の柱に、観音像の代わりに抱きつく「抱きつき柱」がございます。このだきつき柱に抱きついて心から念願し願いごとを唱えれば、何ごとも念願成就するといわれており、特に死の床についた時、長患いすることなく七日以内に成仏できると伝えられています。
また本来の抱きつき柱は内陣にあるものですが、観音堂外陣(げじん)にも同様の抱きつき柱が設けられております。

その他の仏像・お堂

画像:小金塔

小金塔(こきんとう)

昭和57年(1982年)境内にあった小金塔跡から4個の礎石が発見されて以来再建のための勧募が始まり、以来18年の歳月を経て平成12年(2000年)に無事完成した三重の塔です。それと同時に小金塔の本尊として祀ってあった胎蔵界大日如来像も以前の御姿に修復され現在にいたっています。大日如来は未(ひつじ)・申(さる)年生まれの方の守護本尊です。

画像:仁王門と金剛力士像

仁王門と金剛力士像

慶長十六年(1611年)の会津大地震で伽藍が倒壊し、三年後に再建した最初の建造物です。古刹の山門を守るのは、身丈九尺三寸(約2.8m)、金剛力士の木造立像(町指定重要文化財)です。人間の心の内外の障害を夜叉のような魔力で粉砕する役割を担い、口を開いた阿形(あぎょう)と口を閉じた吽形(うんぎょう)、憤怒相の左右の二王、すなわち仁王像です。

画像:三仏堂

三佛堂

正面中央に祀られているのは阿弥陀如来坐像(町指定文化財)、戊(いぬ)・亥(い)年生まれの方の守護本尊です。向かって右側に祀られているのが薬師如来坐像(町指定文化財)となり、左手に持つ薬壺に入っている万能薬によって人の心と身体の病を治し、安らかにしてくださる仏様。向かって左側は、六つの迷いの世界(いわゆる六道)から、人々を仏の道へと導く六体の地蔵菩薩、即ち六地蔵菩薩が祀られております。

恵隆寺の概略と略年表

日本に仏教が伝わったとされる西暦538年以前、今から一千年以上も昔中国から青岩(せいがん)と言う高僧が仏教を伝える地を求めて会津にやって来ました。青岩は会津坂下町のある山を理想の場所として寺を建て仏教を広めました。山の麓の村人たちは高い所に寺が建ったので高寺(たかてら)と言い、いつしか山の名前が高寺山となりました。
その後青岩和尚の遺志を受け、恵隆和尚が高寺の勧進に尽力したことから、寺号を「恵隆寺(えりゅうじ)」と名付け、現在の当寺院の基礎を作り布教されました。
次第に当寺は非常に繁栄し、高寺山には立派な七堂伽藍が建ち並び、山の所々に三十六坊舎を建てお坊さんの数は数千名にもなったそうです。

略年表

年号(西暦)
主なできごと
欽明元年(540)
梁国の青岩、高寺を開く
舒明六年(634)
南岳恵志の高弟恵隆、高寺の庵を恵隆寺と名づける
大同三年(808)
本尊千手観音像開眼、伽藍建立
建久元年(1190)
高寺おろしとなり、現在地に移転、金塔山恵隆寺と改め
伽藍を整備して再出発する。現在の観音堂建立、
このとき記念植樹された樹木が三本残る。
応永十四年(1407)
斗帳供養行い、以後三十三年目に掛替えとする。
この時から現在のような斗帳を掛ける。
慶長十六年(1661)
会津一円大地震に襲われ観音堂大破、その他の堂倒れる
宝暦五年(1755)
五月~八月 千手観音供養百日間修法。本願主征夷大将
軍右近衛大将源家重・従三位宰相右衛門督徳河宗武。
明治三十七年(1904)
「観音堂」特別保護建造物国宝指定。
大正四年(1915)
本尊「立木千手観音」国宝指定
昭和二十五年(1950)
本尊・観音堂、国重要文化財指定。
昭和三十九年(1964)
新潟地震により各仏像・お堂破損。
昭和五十三年(1978)
宮城県沖地震により各仏像・お堂破損。
昭和五十八年(1983)
二十八部衆・雷神・風神立像二体、福島県重要文化財指定。
昭和五十九年(1984)
阿弥陀如来坐像・薬師如来坐像、会津坂下町重要文化財指定
平成七年(1995)
金剛力士立像二体、会津坂下町重要文化財指定
平成九年(1997)
菩提寺本堂建立。本尊大日如来修復。
平成十二年(2000)
小金塔再建立。本尊大日如来修復。
平成十六年(2004)
新潟県中越地震により各仏像・お堂破損。
平成十九年(2007)
能登半島地震により各仏像・お堂破損。
平成二十三年(2011)
東日本大震災により各仏像・お堂破損。